世界大百科事典(旧版)内の大茂山の言及
【恒山】より
…中国,山西省の北東部にある山脈で,北東~南西の走向を示し,西は管涔(かんしん)山に接し,東は河北省境付近に達し,150kmにわたって連なり,桑乾(そうかん)河と滹沱(こだ)河の分水嶺をなす。主峰玄武峯(2017m)は渾源(こんげん)県の南東にあり,《水経注》では玄岳と呼ばれ,明代から中国五岳の一つの北岳恒山にあたるとされたが,〈禹貢〉以来明代まで北岳恒山として祭祀が行われたのは,河北省曲陽県北西の山西省境にある大茂山で,清代になって玄武峯で北岳をまつるようになった。【河野 通博】。…
【五岳】より
…国家祭祀の制度としては漢の武帝に始まり,漢の宣帝が確定した。当時は南岳は霍山(かくざん)(安徽省天柱山)であったが,隋以後,南岳は湖南省衡山に改められ,北岳ももとは河北省曲陽県の大茂山が恒山とされていたが,明以後,山西省渾源(こんげん)県の玄武峯を恒山と呼ぶことになった。【河野 通博】。…
※「大茂山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」