世界大百科事典(旧版)内の大谷廟堂の言及
【覚信尼】より
…72年(文永9)東国門弟たちの協力を得て,尼の居住地に親鸞の廟堂を建てる。これを大谷廟堂といい,のち本願寺と称す。77年(建治3)大谷の地を廟堂に寄進して門弟の共有とし,廟堂の守護(留守職)に尼の子孫をあて,本願寺の血統相続の基をひらく。…
【本願寺】より
…72年(文永9)親鸞の門弟や末娘覚信尼は,墓所の北,吉水の覚信尼住地に廟堂を建て親鸞影像を安置した。これを大谷廟堂と称し,覚信尼および彼女の子孫が留守職(るすしき)となりその管理に当たった。2代留守職は覚信尼の子覚恵,3代は覚恵の子覚如が継承した。…
※「大谷廟堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」