大養徳恭仁大宮(読み)やまとのくにのおおみや

世界大百科事典(旧版)内の大養徳恭仁大宮の言及

【恭仁京】より

…740年(天平12),九州で藤原広嗣の乱が起こったのを契機に平城京を離れた聖武天皇は,伊勢,美濃,近江をめぐった後,12月15日山背国南端の久仁郷の地に至り恭仁京の造営に着手した。翌年11月21日の勅によって宣された正式名称は大養徳恭仁大宮(やまとのくにのおおみや)。造営開始から丸3年を経た743年末には,並行して紫香楽宮(しがらきのみや)が造りはじめられたことなどのために費用がかさんで造作が停止され,翌年2月20日,紫香楽へではなしに難波(なにわ)への遷都が行われて廃都になった。…

※「大養徳恭仁大宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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