大高子葉(読み)おおたかしよう

世界大百科事典(旧版)内の大高子葉の言及

【大高源吾】より

…大石良雄を首領として1702年(元禄15)12月14日に吉良邸に討ち入った赤穂浪士の一人。大高は禄高20石五人扶持で,父忠晴の代に新たに浅野家に召し抱えられた。浅野家が断絶した後はおもに京都にいたが,翌年9月吉良を討つため江戸に下るにあたり決別の意をこめて母にあてた手紙には,浅野の家臣たちが吉良を討つ目的と意義を余すところなく述べており,赤穂事件の重要な史料である。【田原 嗣郎】 大高源吾は死後,浄瑠璃・歌舞伎・講談等に取り上げられた。…

※「大高子葉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む