世界大百科事典(旧版)内の天山ウイグル王国の言及
【ウイグル族】より
…はじめモンゴル高原,のちトルキスタン方面に移住したトルコ系民族のひとつ。回紇,維吾爾とも記される。現在は中国の新疆ウイグル自治区と旧ソ連邦中央アジアを主たる居住地とし,人口は中国に約720万(1990),旧ソ連邦内に約21万(1979)。クトゥルク・ビルゲ・キョル・カガン(懐仁可汗)が744年にユチュケン山麓に拠って(在位747年まで)から840年までモンゴル高原に他のトルコ系部族との連合体による遊牧国家を出現させた。…
【西ウイグル王国】より
…9世紀後半から13世紀末まで,トゥルファン(吐魯番)盆地を中心とし,天山北麓の牧草地帯をも組み込んで形成されたウイグル族の王国。その領域は最大時には西部天山山脈一帯にまで及び,天山ウイグル王国とも呼ばれる。9~11世紀のころにはビシュバリクも重要な都市であったが,その後はカラホージョが王城として機能した。…
※「天山ウイグル王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」