天平風土記(読み)てんぴょうふどき

世界大百科事典(旧版)内の天平風土記の言及

【風土記】より

…巻末には〈天平五年二月三十日勘造〉と明記され,その責任者国造出雲臣広島以下諸郡司の署名がある。本書の成立については江戸時代から,和銅の風土記撰進の官命によるものとする説と,天平の再撰とする説とがあったが,現在では,地方軍政の整備のために732年(天平4)8月に諸道に設置された節度使(せつどし)の派遣と関係づけてとらえる説が有力であり,これを〈和銅風土記〉に対して〈天平風土記〉とよぶことがある。出雲では天平4年に山陰道節度使となった民部卿多治比真人県守が作成に関与したと見られる。…

※「天平風土記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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