世界大百科事典(旧版)内の天武持統合葬陵の言及
【発掘】より
…しかし,たとえ遺物の検出を目的とする掘削行為であっても,通常には盗掘と呼ばれて,光圀による発掘行為などと区別されるものがある。たとえば1235年(嘉禎1)の大和国高市郡(現,奈良県高市郡)の阿不幾(あふき∥あおき)山陵(現,天武持統合葬陵)における村人の掘削行為は,《阿不幾乃山陵記》などの記録が残されたものの,歴史研究の史料としての情報回収の意図はなく,おそらく金品の入手を目的とした,すなわち盗掘と呼ぶべき行為であった。とはいえ光圀の発掘も,3種類の形をとる情報のうち,遺物の入手のみを目ざした段階にとどまっている。…
※「天武持統合葬陵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」