世界大百科事典(旧版)内の太宗(遼)の言及
【耶律阿保機】より
…彼は,突厥(とつくつ),タングート,ウイグルなどの西方諸部族を再度征服して,外モンゴルから東トルキスタンまでを制圧した。つぎに,東方に兵を動かして,中国東北地方東半を領有していた渤海(ぼつかい)国を滅ぼし,その故地を手中におさめて東丹国をたて,皇太子耶律倍にこの国の経営をゆだね,本国への凱旋の途中,扶余府(吉林省農安県)で病没し,その事業は次男徳光(太宗)によって継承されることとなる。 阿保機は,自国内に移した中国人のために,州・県を設置し,中国人に,その故郷におけると同様の生活を営ませた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」