《太陽と光について》(読み)たいようとひかりについて

世界大百科事典(旧版)内の《太陽と光について》の言及

【宇宙】より

…12世紀以降アリストテレス主義と結んだキリスト教神学がスコラ学としてギリシア的な宇宙像を受け入れたとき,半ば意識的に拒否されたプラトン,新プラトン主義関係の文献が,フィレンツェを中心に15世紀後半にラテン語に翻訳され,一つの思想運動に発展すると,その中にはさまれていたヘリオス信仰(ヘルメス主義や新プラトン主義に強く見られる)が西欧世界をふうびすることになった。フィレンツェ・プラトニズムの雄M.フィチーノは《太陽と光についてDe sole et lumine》を著して,その先鞭をつけたが,こうした新傾向の洗礼を受けた一人にN.コペルニクスがいた。まさしく天体の中でももっとも神聖な太陽こそ,そして中心からすべてを〈流出〉する源としての太陽こそ,宇宙の中心にあるべきであるとするコペルニクスやJ.ケプラーが,プトレマイオス流の地球中心的宇宙モデルを太陽中心的モデルに書き換えることになったのは,そうした太陽崇拝思想の結果としてむしろ自然なことであった。…

※「《太陽と光について》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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