世界大百科事典(旧版)内の奈良坂越えの言及
【奈良坂】より
…またその一帯の称。ただし,ひとくちに奈良坂越えとはいっても,古くには,大和古道の〈下ッ道(しもつみち)〉が北へ延びた〈歌姫越え(うたひめごえ)〉の道と,〈中ッ道〉が北へ延びたもう一つの道(JR関西本線沿い)とがあった。また,平城京遷都後は,しばらく〈歌姫越え〉のルートがすたれ,〈中ッ道〉のルートと,長らく〈東路〉と呼ばれた現在の奈良坂(旧国道24号線沿い)とが用いられるようになった。…
【奈良山】より
…平城山,寧楽山,楢山,那羅山とも記される。奈良盆地北部と京都府相楽郡木津町との境界を東西に走る標高100m前後の低丘陵。大和と山城を結ぶ古くからの交通路として,東部の奈良坂越,西部の歌姫越が利用された。この地域には多数の古墳があり,古くは和珥(爾)(わに)氏との関係が深く,皇族や有力貴族の陵墓も存在する。平城宮に供給する瓦を焼く瓦窯群が存在した。奈良坂【櫛木 謙周】…
※「奈良坂越え」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」