世界大百科事典(旧版)内の奥州小幕府の言及
【陸奥将軍府】より
…国府に式評定衆と3番の引付(ひきつけ)および政所(まんどころ),評定,寺社,安堵,侍所の諸奉行を置き,陸奥各地に郡奉行所という国府支庁を設置した。旧幕府機構に似た構造なので,陸奥将軍府とか奥州小幕府と称されることにもなるが,具体的な施政からみると,新政府の政策を掲げながらもそれを換骨奪胎し,また一方で北条得宗専制の政策を止揚しようとしている面もあって,単純に幕府的とも言いがたい。時代に即応して武士層の掌握をねらって,北畠親房と護良親王が中心となって構想し,顕家を前面に立てて具体化した体制であったが,新政府の地方支配制度中もっとも成功し,注目された。…
【陸奥国】より
…その国府の組織は特別に大きく,8人の評定衆,3番からなる引付衆,政所(まんどころ),侍所(さむらいどころ),評定奉行,寺社奉行,安堵奉行を置くという,鎌倉幕府の機構を小さくしたようなものであった。奥州小幕府(陸奥将軍府)といわれるこの政治構想のねらいは,鎌倉を根拠とする旧勢力に対抗し,その力を削減することにあったといわれる。当時陸奥国は日本の半国といわれ,その政治的存在意義が大きく評価されていた。…
※「奥州小幕府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」