奥羽仕置(読み)おうしゅうしおき

世界大百科事典(旧版)内の奥羽仕置の言及

【陸奥国】より

…戦国後期の伊達氏は,この結果得られた強力な軍事力をもとに,北進する常陸の佐竹氏との間で,南奥の国人の帰属をめぐる争いを行い,89年(天正17)伊達政宗が会津の蘆名義広(佐竹義重次男)を攻め滅ぼしたところで,豊臣秀吉の小田原攻めを迎え,争乱は終結せしめられた。伊達勢力の北辺に位置する葛西,大崎両氏は葛西七郡,大崎五郡を領する大勢力であったが,最後まで家中の統制に苦しみ,最終的には伊達氏の従属下に入って,秀吉の奥羽仕置による取りつぶしのうき目にあう。 一方北奥では最後まで一族一揆的な状態がつづき,南部氏の場合も一戸(いちのへ)から九戸までの一族諸氏が割拠的に分立,連合していた。…

※「奥羽仕置」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

大寒の用語解説を読む