世界大百科事典(旧版)内の女唐服屋の言及
【既製服】より
…維新後の1870年に陸海軍の制服がきまり,〈舶来屋〉と呼ばれる一ツ物師(ひとつものし)が高級官吏の御用服を,数物師(かずものし)が一般官吏の制服(警察,郵便,鉄道など)を注文縫製した。やがて技術を習得した舶来仕立職と名乗る洋服職人があらわれ,1872年皇室服制が洋装の大礼服,通常礼服に定められたことからしだいに受注が増加し,81年には女唐服屋(めとうふくや)といわれた婦人服専門の職人も登場している。初期の既製服は軍隊,官員,日赤看護婦,女学生などの制服がほとんどで,その後,子ども服,学生服のほか背広服,婦人服,コート類も作ったが,成人の服は〈つるしんぼう〉の異名がつくほど粗悪だった。…
【洋服屋】より
…唯一の女性業者青木たけは銀座2丁目の店〈伊勢幸〉で,貴族の舞踏衣装を縫って繁盛した。このころの婦人洋服店は,女唐服屋(めとうふくや)と呼ばれた。洋服着用がさらに伸張した明治後期には,横浜には〈レン,クロフォード商会〉(イギリス),〈ローマン商会〉(ドイツ)の二大テーラーが店を構え,〈マダム・ロネ〉は宮中服を調製し,中国人業者〈雲記〉は70余名の優秀な職人をかかえる最大店であった。…
※「女唐服屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」