世界大百科事典(旧版)内の奴隷貿易廃止法の言及
【ウィルバーフォース】より
…福音主義の影響をうけ,トマス・クラークソンや小ピットの支援をうけて,1787年以来議会内で奴隷貿易廃止のキャンペーンをはる。89年に院内に委員会を設置,91年奴隷貿易廃止法案を提案するが否決される。しかし,その後もねばり強く運動を続け,1807年ついに同法を成立させた。…
【フォックス】より
…フランス革命を歓迎して対仏戦争に反対したためしだいに政界で孤立し,盟友バークともたもとを分かち,94年のホイッグ党分裂後は50人弱の仲間を率いて野党にとどまった。1806年再度外務大臣に就任して対仏講和を図ったが,ナポレオンの強硬姿勢にあい挫折し,同年みずから上程した奴隷貿易廃止法案の成立を待たずに死去した。彼は同時代人からは変節漢,過激派との非難を浴びせられたが,雄弁と教養によって影響力をもち,のちに〈自由の大義の擁護者〉としての評価を得た。…
※「奴隷貿易廃止法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」