世界大百科事典(旧版)内の妙見岳城の言及
【豊前国】より
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[戦国時代]
戦国時代になると,在地土豪層は守護代杉氏に被官化するようになった。一方,豊後の大友氏の豊前進出も始まり,大友義鑑(よしあき)は宇佐郡代佐田氏の拠る宇佐郡妙見岳城を攻略した。1534年(天文3)には大内勢と大友勢が豊後速見郡勢場ヶ原(せいばがはら)で激突,大内方は大将の杉隆連が,大友方は主将の吉弘氏直,寒田親将などが戦死し,両軍合わせて600余名の死者を出した。…
※「妙見岳城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」