世界大百科事典(旧版)内の姜達永の言及
【朝鮮共産党】より
…この第1次朝共は,翌年春コミンテルンに承認され,正式にその朝鮮支部となったが,それ以前の25年末に幹部の多くが検挙され,他のメンバーも国外に亡命した。
[第2次~第4次共産党]
1926年2月に姜達永(きようたつえい)を責任秘書に第2次朝共が組織され,党組織の拡大,満州総局・日本部の設置,労農団体の指導のほか,民族主義者との統一戦線結成にも努めたが,六・一〇万歳運動の計画時での発覚により弾圧された。次いで日本で一月会を作っていた安光泉らが帰国してソウル青年会派をも含めて26年12月に第3次朝共(ML党)を組織した。…
※「姜達永」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」