世界大百科事典(旧版)内の娜大津の言及
【朝倉宮】より
…正式には朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)といい,《新古今集》が天智天皇の作とする〈朝倉や木の丸殿に我が居れば名宣りをしつつ行くは誰が子ぞ〉にちなんで木丸殿とも呼ばれる。661年(斉明7)に天皇は百済再興支援のため西征し,3月娜大津(現,福岡市南区)に至り,近くの磐瀬行宮に居したが,5月この朝倉宮に移った。《日本書紀》によれば,朝倉社の木を切り払って宮を造ったため神が怒って殿を壊し,宮中には鬼火が現れ,病死する近侍が多かった,という。…
【那津】より
…古代,儺県(なのあがた)にあった港。娜大津(なのおおつ)ともいう。福岡市の那珂川の河口にあったと推定される。…
※「娜大津」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」