世界大百科事典(旧版)内の婦人束髪会の言及
【髪油】より
…水油にはツバキ油,クルミ油,ナタネ油,サザンカ油,ゴマ油などの不乾性ないし半乾性植物油で,酸価の低いものが使われていた。しかし1885年に結成された婦人束髪会が,それまでの髪油を多用した髪形は,不便,不潔,不経済であると宣伝したこともあって,いわゆる日本髪に代わって束髪が流行し,鬢付油の需要はしだいに減少していった。第2次大戦後は植物油に代わって流動パラフィンや高級脂肪酸エステル,高級アルコール誘導体などの,さらりとした油が使われるようになったが,コールドパーマやカット・アンド・ブローなどの髪形の変化,シャンプー,リンス,トリートメント剤などの発達で,髪油の需要は激減している。…
【髪形】より
…散髪令には男女別が明記されていなかったため,時代の先端をゆこうとする女性のなかに断髪する者が現れたが,翌年〈違式詿違(いしきかいい)条例〉で禁止された。しかし,従来の髪形は結うのが不便で非衛生的だとされ,85年東京に〈婦人束髪会〉が生まれた。一般の既婚者の間では銀杏返し(いちようがえし)が結われていたが,中・上流階級では束髪系統が一世を風靡した。…
【束髪】より
…明治の文明開化の波による欧風化のあらわれとして,従来の日本髪に対して作られ,新時代を象徴した。1885年に〈婦人束髪会〉が設立されたが,そのときの〈婦人束髪の会を起す主旨〉は,従来の髪形を批判する文で終始し,いかに日本髪は不便窮屈で苦痛を伴うか,いかに不潔で衛生に害があるか,などが記されている。東京では〈洋式婦人束髪法〉というパンフレットや,〈婦人束髪改良図〉という髪形を前後左右から描いた色刷り版画が出され,大いに啓蒙宣伝された。…
※「婦人束髪会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」