世界大百科事典(旧版)内の学校死滅論の言及
【学校】より
…それは,5歳で入学する6年制初等学校(プライマリー・スクールprimary school)を統一基礎学校とし,その上に中等学校を接続させるという方式だが,中等学校は文法学校(グラマー・スクールgrammar school),技術学校(テクニカル・スクールtechnical school)および高等小学校を昇格させた近代学校(モダン・スクールmodern school)の3本立てであり,これを単一の総合中等学校(コンプリヘンシブ・スクールcomprehensive school)に統合する試みは,第2次大戦後,とくに労働党政権の誕生をまたなければならなかった。 ソビエト連邦では社会主義革命後の一時期,学校死滅論があらわれた。それは,大衆が建設・闘争・実践のなかで学ぶことが多くなり,学校は死滅するというもので,学校でクラブ活動が行われ,学校が地域や家庭における子どもの作業を組織したり,児童読物を提供したりする等々,学校の意義・役割が無制限に大きくなるとともに,学校が学校としての存在を停止し,子どもは学校外の野原や工場でいよいよ活動するようになるという説であった。…
※「学校死滅論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」