世界大百科事典(旧版)内の学校焼打事件の言及
【学校】より
…学校では能力主義による人材登用が重視され,厳格な試験による進級の方式がとられ,その試験を突破した人間像は森鷗外の《舞姫》などに描かれ,また試験の苦しさは夢に見るほどであると正岡子規が《墨汁一滴》に記している。 民衆には読み書き能力を習得したいという要求があったものの,その要求とくい違う教育内容や学校建設にあたっての過重な経済的負担への不満から学校焼打事件が各地で起こった。79年には,自由教育令といわれる教育令が出され,強制的・画一的性格を改め,町村の小学校経営上の困難や親の負担を軽減する措置がとられ,また学校設置の資力の乏しい地方では教員巡回による教育という方式をとってもよいとされた。…
※「学校焼打事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」