世界大百科事典(旧版)内の宇久純玄の言及
【宇久氏】より
…宇久覚の時代に下五島方面にも勢力を伸ばし,1383年(弘和3∥永徳3)には本拠を宇久島より福江島岐宿に移し,その子宇久勝は本拠を深江(現,長崎県福江市)辰の口城に移した。宇久純玄のとき,豊臣秀吉から所領を安堵され,文禄の役出兵に当たり,宇久姓から五島姓に改め,1万5000石の近世大名五島氏に発展した。【瀬野 精一郎】。…
【肥前国】より
…旧国名。肥州。現在のほぼ佐賀県,長崎県に当たる。
【古代】
西海道に属する上国(《延喜式》)。古代の〈火の国〉の一部で696年(持統10)ころまでに,肥前国と肥後国とに分立されたらしい。《肥前国風土記》に,〈肥前ノ国ハ,本,肥後ノ国ト合セテ一ツノ国ナリ〉とある。有明海を介して肥後国と結ばれていたこと,また火君の勢力が広く肥前国にまで及んでいたことから,〈火の国〉と総称されることになったものだろう。《魏志倭人伝》の末盧国(まつろこく)以来,海上交通の要衝を占め,大陸文化を早くから導入していたことは,支石墓群の分布などからうかがえよう。…
※「宇久純玄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」