世界大百科事典(旧版)内の宇佐和気使の言及
【宇佐神宮】より
…833年(天長10)仁明天皇の即位のとき和気清麻呂の子真綱が勅使として奉告し,以後即位には和気氏が奉幣の勅使となった。これを宇佐和気使という。奉幣の勅使である宇佐使(うさのつかい)は南北朝時代から中絶したが,1744年(延享1)再興された。…
【宇佐使】より
…平安時代に勅使は五位の殿上人が充てられ,神祇官の卜部(うらべ)らが従った。天皇即位の奉告の使は,宇佐和気使と称して必ず和気(わけ)氏の五位の者が遣わされる例であり,これは先祖の和気清麻呂が道鏡の事件のとき,使として宇佐八幡の神託をうけた功績にちなんだもので,833年(天長10)に仁明天皇の即位奉告のため従四位下和気真綱(清麻呂の子)が遣わされたのが初例のようである。勅使発遣の儀式については《江家次第》等に詳しい。…
※「宇佐和気使」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」