世界大百科事典(旧版)内の安倍家の言及
【陰陽道】より
…日月星辰の運行や方位をみ,特殊な占法を用いて国家・社会や個人の吉凶禍福を判じ,あらゆる思考や行動上にその指針を得ようとする諸技術をさし,これに関連する思想・理論も含まれる。中国古代,夏・殷(商)王朝のころに発達し,周王朝の時代に完成した。いわゆる易と称するもので,その代表的な典籍が《周易》である。その思想・理論の中心となるのは陰陽(いんよう)五行説で,日月と木火土金水を万物生成の主要素とし,これに十干十二支の説が結びつき,それらの複雑な組合せから歳月日時方位に占星的価値がつけられ,天文・暦法が加わってここに原始的科学知識が成立した。…
【京都方】より
…弦楽器は堂上貴族が担当することが多かった)のいずれか一種ずつ,打楽器各種,舞などの多岐にわたる専門的技量を父子相伝により伝えてきた。多家の神楽,豊原(豊)家の笙(しよう),大神(おおが)(山井)家の笛,安倍家の篳篥(ひちりき)は家の芸として有名である。また中世以前より大規模な宮廷行事においては京都の楽人に右舞(うまい)を担当させ,奈良の楽人を召して左舞(さまい)を受けもたせる習慣があった。…
【暦】より
…977年(貞元2)没したが,その際家学のうち天文道を弟子の安倍晴明に,暦道を子の光栄(みつよし)に伝えた。以後,天文道は安倍家が代々つかさどることになり,のちには土御門(つちみかど)とも称し,全国の陰陽師(おんみようじ)を支配するようになった。賀茂家はのちには幸徳井と名のり江戸時代の終りまで作暦に携わっていた。…
※「安倍家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」