世界大百科事典(旧版)内の安内攘外の言及
【中華民国】より
… このころ,日本の侵略は新たな段階に入り,亡国の危機が迫っていたにもかかわらず,蔣介石は日本に譲歩しつつ共産党の絶滅をはかった。いわゆる〈安内攘外〉策である。33年10月に始まる第5次包囲殲滅(せんめつ)により,蔣介石はようやく瑞金攻略に成功した。…
【日中戦争】より
…華北とくに内蒙古は対ソ戦のための重要地点でもあった。蔣介石を中心とした中国国民政府は,まず共産軍を掃討したあと日本に当たるという〈安内攘外〉策をとり,日本の侵略に対して妥協的だったが,中国共産党は抗日統一戦線を提唱し,民衆の間にも内戦停止・一致抗日を求める運動が広がった。これに対して日本は日中提携・満州国承認・共同防共の広田三原則を中国に押しつけようとしたが,中国では国民政府による国内統一の進展と抗日救国運動の高揚を背景に36年末,西安事件を機として内戦停止が実現した。…
※「安内攘外」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」