世界大百科事典(旧版)内の安居院流の言及
【安居院】より
…もと比叡山竹林院の里坊。その開基澄憲を始祖とする説経師が根拠地としたので,この系統の説経を安居院流という。澄憲は比叡山で檀那流の天台教学を修め,学識と弁舌の才で知られ,大僧都,法印に叙せられたが安居院に退去し,華麗な表現の表白諷誦文(ひようびやくふじゆもん)と機知に富んだ譬喩因縁譚(ひゆいんねんたん)を中心とした説経で人々の教化にあたり名声を博した。…
【唱導】より
…唱導の名手とつたえられる慶意は〈先泣の誉〉があったというので,唱導の名手はみずからも泣き聴衆も泣かせたことをあらわしている。唱導が注目をあつめるのは,平安末期から鎌倉初期にかけて名手澄憲(ちようけん)法印が活動したためで,その子孫は安居院(あぐい)流という唱導の一派をなした。これは澄憲とその長子聖覚(せいかく)がその父祖藤原通憲(みちのり)(信西)の血統をうけて学者であり,演説の天才だったことによる。…
【説経】より
…しかし中世までの説経はあくまでも仏教の唱導をはなれなかった。また中世には説経に流派もできて,なかでも安居院(あぐい)流が有名である。これは神仏の本地譚と縁起を語ったもので,その説話をあつめたのが《神道集》である。…
【節談説教】より
…ことばに節(ふし)(抑揚)をつけ,洗練された美声とジェスチャー(身ぶり)をもって演技的表出をとりながら聴衆の感覚に訴える詩的・劇的な情念の説教である。仏教伝来のときから行われたと推定されるが,天台宗の澄憲(ちようけん)(?‐1203)・聖覚(しようがく)(1167‐1235)父子が樹立した安居院(あぐい)流(安居院)と寛元(1243‐47)のころ定円が創始した三井寺(みいでら)派のことが《元亨(げんこう)釈書》に見える。安居院流は浄土宗と真宗に入り,とくに真宗で節談説教が興隆した。…
※「安居院流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」