世界大百科事典(旧版)内の安政条約の言及
【日露和親条約】より
…1855年2月7日(ロシア暦1月26日,安政1年12月21日)下田で締結された日露の国交を開いた条約。日露修好条約,安政条約などともいう。ロシア側全権の海軍中将プチャーチンは1852年10月出発以来,帰国までに3年2ヵ月を費やして使命を達成した。…
※「安政条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…1855年2月7日(ロシア暦1月26日,安政1年12月21日)下田で締結された日露の国交を開いた条約。日露修好条約,安政条約などともいう。ロシア側全権の海軍中将プチャーチンは1852年10月出発以来,帰国までに3年2ヵ月を費やして使命を達成した。…
※「安政条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...