世界大百科事典(旧版)内の宗七焼の言及
【博多人形】より
…正木家は以後,代々藩の御用焼物師としておもに実用品製作の家業を受け継いだ。文政年間(1818‐30)4代宗七のとき親交のあった人形師,中ノ子吉兵衛が宗七焼の陶芸の技法を生かして土人形を製作し,今日の博多人形の始祖となった。彼は木彫りの名手,牧牛軒利治に彫刻の技を習い,良質の粘土にも恵まれたうえ,藩から玩具人形製作の許可を得て,1850年(嘉永3)には節句用素焼着色の大型雛,兜人形などを売り出して好評を博した。…
※「宗七焼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」