世界大百科事典(旧版)内の宗設謙道の言及
【寧波の乱】より
…1519年(永正16)ころ,大内氏の遣明船派遣計画が具体化すると,それと対抗する形で細川氏の派遣計画も熟した。大内氏は豊前池永で遣明船3隻を艤装し,正徳勘合1,2,3号を与え,宗設謙道と月渚永乗とを正・副使とし,彼らの船は23年の4月に寧波に到着した。一方,細川氏は幕府に強請して,すでに無効になっていた弘治勘合を入手し,鸞岡瑞佐を正使とし,明人宋素卿をこれに付け,南海路をとって入明させた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」