定朝様(読み)じょうちょうよう

世界大百科事典(旧版)内の定朝様の言及

【運慶】より

… しかし現存する彼の確実な作品は少なく,奈良円成寺の大日如来像(1176),静岡願成就院の阿弥陀三尊(脇侍は現存せず)・不動明王・毘沙門天像(以上1186),神奈川浄楽寺の阿弥陀三尊・不動明王・毘沙門天像(以上1189),高野山不動堂の八大童子像(1197,2軀は室町期の後補),奈良興福寺北円堂の弥勒三尊像(脇侍は現存せず)および同寺の無著・世親像(以上1212ころ),快慶と合作になる東大寺南大門の金剛力士像(1203)にすぎない。運慶の作風は康慶にすでに見られた写実主義的傾向をさらにおし進め,平安末期に流行していた定朝様の形式化した貴族趣味的な像に対し,男性的な風貌,堂々たる体軀,複雑で彫の深い衣文,自由な動きをもつ姿態などに特色が見られる。定朝様に対する意識的な反抗は,平安王朝文化の否定という,当時の一般的な文化現象に通じるといえる。…

【定朝】より

…鳳凰堂像により知られる彼の作風は,浄土教を信奉する当時の精神を的確に表現したもので,天平の古典彫刻にのっとって10世紀ごろからしだいにあらわれてきた単純化とやさしさをいっそう推し進め,顔は丸くいわゆる円満具足の相をもち,膝は広く低く安定感を示し,衣文線も流麗で浅く平行に流れるという,日本的に純化された和様と称される様式を完成している。彼以後この様式は定朝様と呼ばれて長く日本の彫刻の規範とされている。そのほか,従来の一木造と違って複数の木を寄せて像身を構成する,いわゆる寄木造の完成者ともいわれている。…

※「定朝様」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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