世界大百科事典(旧版)内の宮古路文字太夫の言及
【常磐津節】より
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[成立]
1734‐37年(享保19‐元文2)ころ江戸で一世を風靡(ふうび)した豊後節は,風紀を乱したという理由で全面的に禁止された。流祖宮古路豊後掾は帰京してしまうが,江戸にとどまった有力な門弟のうち,豊後掾の養子となった宮古路文字太夫は43年(寛保3)から再び劇場に出演し,豊後節にくふうを加えて一流を創始した。47年(延享4)姓を関東としたが幕府より差し止められ,再度改めて常磐津文字太夫を名のり,志妻,小文字両太夫,三味線初世佐々木市蔵を連れて中村座に出演,ここに常磐津節が成立した。…
【常磐津文字太夫】より
…俗称駿河屋文右衛門。位牌商であったが,1716‐26年(享保1‐11)ごろ宮古路国太夫(のちの宮古路豊後掾)の門弟(のちに養子)となり,宮古路文字太夫(一説に前名を右膳とする)と名のる。豊後掾は32年から34年正月ごろまで名古屋滞在ののち江戸に下る。…
※「宮古路文字太夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」