世界大百科事典(旧版)内の宮廷派の言及
【ジェントルマン】より
…一つは,宗教改革からピューリタン革命に至る1世紀間には,おりからのインフレによって,伝統的な固定地代を徴収する貴族が没落したのに対し,競争地代を徴収し,毛織物その他のマニュファクチュア経営,石炭業などをも展開した資本家的なジェントリーが急速に勃興したというR.H.トーニーの主張である。これに対して,そのような事実は存在せず,貴族であれ,ジェントリーであれ,宮廷内に官職を確保しえた一族つまり〈宮廷派〉は勃興し,それができなかった一族〈カントリー派〉は没落を余儀なくされたとするH.R.トレバー・ローパーの学説が対立,〈ジェントリー論争〉の名を与えられている。論争の行方は,結局ピューリタン革命を資本家的ジェントリーによる〈ブルジョア革命〉と解するか,〈宮廷派〉に対する議会=〈カントリー派〉のクーデタと解するかという問題にもつながっている。…
※「宮廷派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」