世界大百科事典(旧版)内の家族協約の言及
【カルロス[3世]】より
…しかし,カトリック教徒でありながら,中南米を含むスペイン領土からイエズス会士を追放(1767)したため,バチカンとの間に緊張関係をもたらした。また,イギリスに対抗するため,フランスへの接近政策(家族協約,1761)を試み,七年戦争終結のため結ばれたパリ条約(1763)では,イギリスにフロリダを譲与し(1783回復),フランスからルイジアナを譲り受けた。一方,植民地政策では破綻をきたし,ペルーをはじめとする中南米諸国の独立運動を押しとどめることはできなかった。…
※「家族協約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」