世界大百科事典(旧版)内の富士門流の言及
【大石寺】より
…日興はさらに98年(永仁6)同郡重須(おもす)に本門寺を開創,ここに重須談所を開設して弟子の育成に努めた。大石寺はこの本門寺とともに,日興門流(富士門流)の二大拠点の一つ。 日興は1333年(元弘3)大石寺を日目に,本門寺を日代に譲り,没した。…
【日蓮宗】より
…日蓮在世中,原初的教団が形成されたが,その教団的展開は鎌倉時代末期からである。1282年(弘安5)日蓮は日昭,日朗(にちろう),日興(につこう),日向(にこう),日頂,日持(にちじ)の本弟子6人(六老僧)を指定,このうち日昭が浜(はま)門流,日朗が比企谷(ひきがやつ)門流,日興が富士門流,日向が身延門流を形成,これらに日蓮没後僧となった富木常忍(ときじようにん)(日常)の中山門流が加わる。中世日蓮教団の実体はこの門流であった。…
【日蓮正宗】より
…その教線は駿河,甲斐,伊豆,陸奥,讃岐,佐渡その他に伸張した。この系統は日興門流,富士門流とよばれ,大石寺,重須本門寺,富士郡西山本門寺,同下条妙蓮寺,小泉久遠寺が富士五山として中山寺院であった。近世にいたり,大石寺26世日寛が大石寺教学を大成した。…
【日興】より
…前者を本六人(本六),後者を新六人(新六)と称している。日興の系統を日興門流,富士門流と呼び,大石寺を日目が継ぎ,本門寺を日妙が継承,日妙と争った日代は西山本門寺を開創,この3寺に小泉久遠寺,下条妙蓮寺を加えて富士五山と呼んでいる。【高木 豊】。…
※「富士門流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」