寒涼派(読み)かんりょうは

世界大百科事典(旧版)内の寒涼派の言及

【中国医学】より

…その後,金・元の四大家といわれる劉完素,張従正,李杲(りこう),朱震亨(しゆしんこう)をはじめ,張元素,王好古(1210?‐1310?),羅天益(1220?‐1290?)など多くの医家が出現し,それぞれ特徴のある理論と治療法を主張した。たとえば劉完素と張従正は寒涼派といわれるように激しい作用を持った薬を多く用い,李杲と朱震亨は温補派(この2人の流れに従った医学を李朱医学ともいう)といわれるように温和な薬を用いることを提唱した。これらの医家がそれぞれの治療理論の共通のよりどころとしたのは《素問》,《難経(なんぎよう)》などの書である。…

【劉完素】より

…彼は張仲景(《傷寒論》)の処方をよく用いたが,病因として特に火熱を重視し,寒涼剤を用いた。そのため彼の一派は寒涼派と呼ばれる。《宣明論》《素問玄機原病式》《傷寒直格》などの著書がある。…

※「寒涼派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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