世界大百科事典(旧版)内の寺泊航路の言及
【赤泊[村]】より
…中心の赤泊港は本土の三島郡寺泊町に最も近く(約40km),背後の小佐渡丘陵が冬の北西季節風をさえぎるため,古くから佐渡の玄関口となり,江戸時代中ごろには奉行,役人などの渡海場としてにぎわった。その後も良港として栄えたが,明治初期に始められた両津(夷(えびす))~新潟間の汽船の航路が盛んになり,また小佐渡丘陵が国中平野との陸上輸送の障害となったため,寺泊航路は廃航状態となり衰退した。1973年この航路は夏季のみ,89年からは通年で再開され,佐渡島の第3の玄関口として活気をとり戻している。…
※「寺泊航路」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」