世界大百科事典(旧版)内の将棋大成会の言及
【将棋】より
… 35年13世名人関根金次郎は名人世襲制を捨てて実力名人制を採用するという決断を下し,棋界は新しい時代を迎えた。その後,大阪の〈十一日会〉代表,神田七段の昇段問題をめぐって〈日本将棋連盟〉が分裂するという事態も生じたが,36年,すべての会派を解散して新たな組織をつくるという小菅剣之助の調停が成功して,坂田を除く全員で〈将棋大成会〉が発足した。これによって長年にわたる関東・関西間の対立も解消し,棋界の本格的な統一が達成された。…
【日本将棋連盟】より
…東京,東海,関西に各本部がある。1924年に東京将棋連盟がつくられたが全国組織とはならず,27年日本将棋連盟への改称を経て,36年将棋大成会として名実ともに唯一の棋士の全国組織になった。第2次大戦中に中断したが,45年再建を決め,48年社団法人日本将棋連盟に改組し現在に至っている。…
※「将棋大成会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」