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小弓公方 おゆみくぼう

世界大百科事典内の小弓公方の言及

【足利義明】より

…永正年代(1504‐21)後期には父政氏と対立し,還俗して義明と称し,その後まもなく道号道哲を称した。彼は上総武田氏に擁立されて,下総原氏の居城小弓(おゆみ)城を奪取し,同城を拠点に下総,上総,安房に勢力を伸張し,小弓公方と尊称された。後に勢力拡大を恐れた古河公方足利高基と対立し,その子晴氏のとき,1538年下総国府台(こうのだい)で晴氏の命を受けた北条氏綱の軍勢と戦って敗死した。…

【里見氏】より

…33年(天文2)義通の子義豊は叔父実尭と勢力争いの末これを殺したが,実尭の嫡子義尭は翌年義豊を滅ぼして父の仇を討ち,里見氏の主となった。 当時関東の諸将に対し伝統的権威を保持していた古河公方家では,公方の足利高基と弟義明とが対立していたが,義明は1517年(永正14)下総小弓城(現,千葉市南生実町)に拠り小弓公方と称した。38年古河公方と結んだ北条氏綱・氏康父子が下総に進撃,国府台(こうのだい)(現,市川市)で義明軍を破り,義明は討死して小弓公方は滅びた。…

【下総国】より


[国府台合戦]
 その後,上杉氏に代わって後北条氏の勢力が伊豆・相模から武蔵へと進出する。古河公方足利高基(成氏の孫)は豆相の北条氏や下総の千葉,原氏らを頼んだが,高基の弟義明は上総武田氏や安房里見氏に支持され,1517年(永正14)小弓(おゆみ)城(千葉市南生実(おゆみ))の原氏を討ってこれに拠り,小弓公方(小弓御所)と称し,古河公方に代わり関東の統一を志した。高基の子晴氏は北条氏綱の娘婿となり,後北条氏と同盟して小弓公方と対抗し,38年(天文7)第1次国府台合戦が起こる。…

※「小弓公方」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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