世界大百科事典(旧版)内の小笠原壱岐守の言及
【小笠原長行】より
…江戸末期の老中。唐津藩世子,壱岐守。1862年(文久2)若年寄,ついで老中格に進み,外国御用取扱を命ぜられた。幕府が朝廷に約束した攘夷実行期日の前日である63年5月9日,武力衝突を避けるために,独断でイギリス代理公使ニールに生麦事件の償金を支払った。同月末,若年寄酒井忠毗らが計画した尊王攘夷派を京都から一掃するためのクーデタを実行に移すため,歩騎兵1000人余を率いて軍艦で大坂へ赴いた。しかし,朝命で入京を止められ,6月,老中格を罷免された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」