朝日日本歴史人物事典 「尚泰久」の解説
尚泰久
生年:尚思紹10(1415)
15世紀半ば,琉球王国の第一尚氏王朝6代の王。在位7年(1454~60)。第一尚氏王朝の確立者である尚巴志の7男で初め越来王子と称したが,尚金福4(1453)年,王位継承をめぐる内乱(志魯・布里の乱)で当事者がすべて死去したために,ダークホースの形で王位に就いた。治世中に有力豪族の反乱(護佐丸・阿麻和利の乱,1458年)が起こるなど不安が続いたこともあって深く仏教に帰依し,寺院の建立に努め,梵鐘を鋳造して寺院に寄贈している。広巌寺,普門寺,天界寺などはその命で建立された。一方,中国,日本,朝鮮,東南アジア諸国との海外貿易は活発で,この時代の気概を伝える文句,「舟楫を以て万国の津梁となす」(船を操り世界の架け橋の役目を果たしている)を刻む梵鐘(万国津梁の鐘,1458年)を首里城の正殿に掛けている。腹心であった金丸(即位して尚円と号す)は,のちにクーデタ勢力に擁立されて新しい王朝(第二尚氏王朝)を開いた。<参考文献>高良倉吉『新版・琉球の時代』
(高良倉吉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報