世界大百科事典(旧版)内の《尾張の家苞》の言及
【石原正明】より
…1792年(寛政4)名古屋に出講した本居宣長に入門したが,のち江戸に出て塙保己一に師事,その塾頭となって《群書類従》の編纂を助け,和学講談所の運営にも加わった。その学は博覧卓見とくに有職故実に精通し,《冠位通考》などを著したが,和歌にも一見識を持ち,師の宣長の《美濃の家苞(いえづと)》を駁(ばく)した《尾張の家苞》は有名。【南 啓治】。…
※「《尾張の家苞》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」