世界大百科事典(旧版)内の山中他界観の言及
【地獄】より
…日本列島には各地に霊山が存在するが,そのほとんどの山中に阿弥陀が原や賽(さい)の河原などとならんで地獄谷といった地名がつけられている。これは古くからの山岳信仰と仏教とが習合した結果つくりあげられた山中他界観であって,その後の日本人の信仰に大きな影響を与えた。そのためたとえば中世の《地獄草紙》や近世の《立山曼荼羅》などからもわかるように,地獄の景観が山岳世界に求められることが多い。…
【浄土】より
…平安時代になると阿弥陀信仰,叡山浄土教が発達し,今様にも〈浄土は数多(あまた)あんなれど,弥陀の浄土ぞ勝(すぐ)れたる〉とうたわれたように,浄土といえば極楽浄土を指すようになった。また民間信仰では,経典の説とは別に,山岳信仰,霊山信仰のなかで,山に霊魂がいく浄土がある(山中他界観)と考えられている。極楽浄土教美術【伊藤 唯真】。…
【山の神】より
…里山を舞台とする者は同時に水田稲作農耕にも従事しているので,春になると山の神が田に降りてきて田の神となり,秋には山へ帰って山の神になるという去来信仰を特徴としており,東日本にかたよりながらほぼ全国的に分布している。この信仰の成立は,人の死後その霊魂が山におもむくという山中他界観が基礎になっている。つまり死後の霊魂が時間を経て先祖神となり,子孫の生活を守るために降りてくるのだと説明されてきた。…
【山宮】より
…その推移ごとに遷幸があって神輿の渡御が盛大に行われる。また氏子の死霊は三十三年の弔い上げののち山頂へのぼってそこに鎮留するとの民間信仰があり,この山中他界観が成熟するにつれ,山宮祭祀をいっそう深化させたことも,忘れてはならない。【桜井 徳太郎】。…
※「山中他界観」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」