世界大百科事典(旧版)内の山岳派独裁の言及
【山岳派】より
…すなわち,ジロンド派がもっぱらブルジョアジーのみの利害を貫徹しようとしたのに対して,山岳派は革命遂行のためには民衆や農民と同盟することが不可避であると考え,とくにパリの民衆の力を結集して中央集権的な革命指導の方針をとるべきであると主張した。この方針に即して山岳派は93年5月末,パリの民衆運動の圧力を利用して国民公会からジロンド派議員を追放し,山岳派独裁と呼ばれる強力な政治体制を樹立した。山岳派独裁のもとでは,領主的諸権利の完全な無償廃棄の実現や,生活必需品の価格統制の実施など,農民や民衆のための政策がある程度まで行われ,国民公会内に設けられた公安委員会に権力が集中され,内外の反革命勢力から革命を防衛するための非常手段としていわゆる恐怖政治が断行された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」