山川庄兵衛(読み)やまかわしょうべえ

世界大百科事典(旧版)内の山川庄兵衛の言及

【但馬国】より


[産業]
 代官所のある鉱山町生野は最盛期の1622年(元和8)ころ人口2万を数えたとみられる。悪代官として朝来郡百姓一揆(1620)の対象となり,不正が発覚して斬罪となった山川庄兵衛はこのころの奉行である。58年(万治1)に矢根銀山が発見され,生野の外財(げざい)が大挙してそこへ移動する有様となったが,ここの盛期も長くは続かず,生野,矢根,中瀬金山,阿瀬金銀山等の盛期は総じて17世紀の間にとどまった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」