世界大百科事典(旧版)内の山柿の門の言及
【柿本人麻呂】より
…前者が人麻呂文学の形式的背景をなすとすれば,後者はその内容を詩的に充電する契機として働いたであろう。 人麻呂の声名は万葉時代すでに,大伴家持により〈山柿(さんし)の門〉(歌を山部赤人,人麻呂に代表させたいい方)と称揚されたが,《古今和歌集》仮名序,真名序では〈歌仙(うたのひじり)〉としてまつり上げられるにいたる。以後,勅撰和歌集を中心とする宮廷和歌の世界でこの傾向が増幅され,平安末期には〈人丸影供(ひとまるえいぐ)〉という,人麻呂の肖像をかかげ香華,供物をそなえての歌会も行われた。…
【山部赤人】より
…この点で万葉後期の大伴家持らに敬慕されるとともに,その耽美的な自然観は平安時代の歌人にも愛され,影響を与えた。家持は赤人を人麻呂と並べて〈幼年に未だ山柿の門に逕(いた)らず〉と嘆いたが(〈山〉を山上憶良とする説もある),紀貫之もまた《古今集》序で人麻呂と並称してたたえている。近代に至って島木赤彦らの作風や歌論にも強い影響を与えた。…
※「山柿の門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」