山部親王(読み)やまべのしんのう

世界大百科事典(旧版)内の山部親王の言及

【光仁天皇】より

…しかし770年8月に称徳天皇が没し,天武系の皇統が絶えると,藤原百川,永手らに擁立されて皇太子となり,道鏡を下野薬師寺別当に左遷した。ついで同年10月に即位,宝亀と改元し,井上(いかみ)内親王を皇后に,その子である他戸(おさべ)親王を皇太子と定めたが,まもなく皇后が巫蠱(ふこ)に座したという理由で,廃后・廃太子を断行し,代わって山部親王(母は高野新笠)を皇太子に立て,また楊梅宮を造営して移った。在位中,大中臣清麻呂を右大臣に,藤原良継を内臣,内大臣に任じて重用し,庶政刷新,綱紀粛正をはかったほか,渤海,新羅,唐からの使節来朝が相つぎ,また蝦夷の反乱鎮定にも努めた。…

※「山部親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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