世界大百科事典(旧版)内の山野河海の言及
【漂泊民】より
…例えば定住的な農業民にとって,漂泊・遍歴する人々は異人,〈まれひと〉,神であるとともに乞食であり,定住民は畏敬と侮蔑,歓待と畏怖との混合した心態をもって漂泊民に接したといわれるが,逆に漂泊・遍歴する狩猟・漁労民,遊牧民,商人等にとって,定住民の社会は旅宿の場であるとともに,交易,ときに略奪の対象でもあった。また農業民にとっては田畠等の耕地が生活の基礎であったのに対し,狩猟・漁労民,商人等にとっては山野河海,道,市等がその生活の舞台だったのである。そしてこうした対立した立場のいずれが社会の中で支配的な比重を持つかによって,一方による他方の抑圧,賤視が生じうるが,それは時代により,また民族,地域等によってさまざまであり,固定的にとらえることはできない。…
【無主地】より
…特定の領主あるいは年貢負担者の定まらない土地。律令国家においては,山野河海は公私共利の地であり,無主地であった。ところが,11世紀中葉以降荘園制的な領域支配が展開し,鳥羽院政期になると,山野河海も荘園の構成要素として把握されるに至った。…
※「山野河海」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」