世界大百科事典(旧版)内の山陽鉄道会社の言及
【駅弁】より
…その後に麦を材料とした人造米が規制外の主食として短期間だけ代用されたが,51年には鉄道旅客だけを対象に“等外米(くず米)”が各駅弁業者に限り特配されるようになり,このころから幕の内弁当も復活し,地方色豊かな,アイデアをこらした駅弁が現れ始める。握飯にたくあんだけの駅弁にとって代わる弁当らしい駅弁の第1号は,山陽鉄道会社線の神戸~姫路の山陽線部分開通の翌1889年(月日は不詳)に売り出された。包装もタケの皮から木の香り漂う経木の2段式折箱になり,かまぼこ,タイ,きんとん,伊達巻(だてまき),鶏肉,百合根,奈良漬などが入っていた。…
【山陽本線】より
…おもな経由地は姫路,岡山,倉敷,広島,下関の各市である。山陽本線は,山陽鉄道会社により神戸側から建設が開始され,1888年12月に神戸~姫路間が開業,順次延長開業し,下関までの全通は1901年5月である。06年鉄道国有法により国が買収して山陽本線となり,42年7月には関門トンネルが開通,終点駅も門司となった。…
※「山陽鉄道会社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」