岡山孤児院(読み)おかやまこじいん

世界大百科事典(旧版)内の岡山孤児院の言及

【石井十次】より

…東京芝の攻玉舎中学を中退し,郷里で荒野開拓事業をしたり警察官になったりしたが,病を得てキリスト教徒の医師と出会い,岡山県甲種医学校に入学した。在学中の1887年,貧児孤児教育を志し,中退して岡山孤児院を創設した。濃尾地震の孤児収容後は千数百人の巨大施設となり,郷里の茶臼原に開拓農場を経営して,孤児を移した。…

【児童福祉】より

…74年の制定以来,1932年まで半世紀以上も続いた〈恤救(じゆつきゆう)規則〉は13歳以下の極貧孤児に対し,1年につき米7斗を支給するという制度を盛り込んでいた。 明治年間,少年保護施設や育児施設が設立され始めたが,代表的な育児施設としては石井十次による岡山孤児院(1887)があり,民間感化院としては,留岡幸助による家庭学校(1899)があった。カトリックに基づく施設としては,横浜慈仁堂(1872),浦上養育院(1874),函館聖保禄女学校(1878)等がある。…

※「岡山孤児院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android