岩瀬修理(読み)いわせしゅり

世界大百科事典(旧版)内の岩瀬修理の言及

【岩瀬忠震】より

…幕末の政治家,外交家。通称は修理。伊賀守,肥後守を称し,号は鷗処など。旗本設楽貞丈の三男。旗本岩瀬家の養子となる。1851年(嘉永4)昌平黌教授となった。54年,阿部正弘に抜擢されて目付となり,同年軍制改正用掛を命じられ,品川台場築造や講武所,蕃書調所の設立などに当たった。ロシア使節プチャーチンの来航に際して,日露和親条約修正交渉に加わり,次いで57年(安政4)日蘭・日露追加条約の交渉に当たり,調印した。…

※「岩瀬修理」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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