世界大百科事典(旧版)内の崎門学の言及
【闇斎学】より
…近世初期の儒学者山崎闇斎の提唱した学問。崎門(きもん)学ともいう。闇斎は孔子の〈述而不作〉の立場を自己の学風とし,自分の独自の見解を創出するよりは朱子の四書注解,朱子の文集や語類を精読し,主題ごとに朱子関係の文献の内容を摘録して編著を刊行した。…
【儒教】より
…その後山崎闇斎の出現とともに,朱子学が本格的に理解され受容され始めた。闇斎の学風は朱熹→李退渓の系譜を引くもので,価値的観点の強い義理の学であり,その弟子浅見絅斎,佐藤直方を通じて崎門(きもん)学(闇斎学)派という朱子学の一派が形成されてその学統は今日に及んでいる。 ところで日本の儒学の特色の一つは朝鮮の場合のように一つの学派が圧倒的に支配するというのではなく,多様な学派が併存して相互に刺激しあったことにあって,朱子学派の中でも経験主義的性格の濃い貝原益軒,新井白石,ならびに中井竹山・履軒,山片蟠桃らの懐徳堂学派の人々があり,朱子学を批判した者には藤樹の弟子の熊沢蕃山や三輪執斎,大塩中斎(平八郎)らの陽明学派,ならびに陽明学をも含めて宋・明の新儒学を批判してただちに孔孟の学に帰ろうとした山鹿素行,伊藤仁斎・東涯,荻生徂徠,太宰春台らの古学派,ならびに多くの折衷学派,考証学派の人々を生み出している。…
※「崎門学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」